一般社団法人日露ユーラシア交流振興協会の歩み(旧日露文化センターの歩み)

 1980年にモスクワで生まれた縁を基に「日露文化センター(任意団体)」(代表=川村秀)と代表理事(内田昭二)の共同体として誕生し活動を開始する。
1992年(平成4年)
3月21日 ロシア科学アカデミー東洋学研究所(モスクワ)の建物に日本建築の粋を尽くした、和食レストランとカラオケサロンを持つ「日露文化センター」設立協定を調印。
1995年(平成7年)
9月 総務省の独立行政法人(財)全国強制抑留者協会(会長=相澤英之氏)が、東洋学研究所で開催した定例「シベリア抑留問題にかんする日露シンポジウムに、川村が参加したことがきっかけとなり、当時モスクワに常住していた彼が平成21年(2009年)まで、東京・モスクワにおける通訳や連絡のお手伝いをすることとなる。
1996年(平成8年)
(財)全抑協のモスクワ・シンポジウムへの協力。
1997年(平成9年)
同上(9月に訪露された協会代表団が訪問した、ロシア軍事公文書館で、ソ連領の収容所で関東軍将兵が尋問後自署させられた「身上調書」の現物を確認。相澤会長のものも実見。
後年厚労省が現地ですべてマイクロフィルム化し、今では全員分を日本でコピーを入手出来るようになった。
1998年(平成10年)
シベリア抑留問題シンポジウムに協力。
1999年(平成11年)
NPO日ロ交流協会モスクワ代表・常任理事・出版事業部会長として、露日協会と共同で司馬遼太郎著「ロシアについて」ロシア語版をモスクワで自主出版。
2000年(平成12年)
同上職。司馬遼太郎著「最後の将軍」ロシア語版を国際交流基金の翻訳助成を得てモスクワで出版。同時に日ロ交流協会と露日協会の共同事業として、国際交流基金の翻訳助成を得てモスクワで出版された、吉村昭著「ニコライ遭難」ロシア語版の訳文校閲を担当。
(財)全抑協のモスクワ・東京におけるシンポジウム
準備と実施に協力。
2001年(平成13年)
同上職。(財)全抑協への協力続行。
2002年(平成14年)
(財)全抑協への協力続行。
2003年(平成15年)
露日協会と共同で渋沢栄一の自伝「雨夜譚」ロシア語版を国際交流基金と渋沢青淵財団の助成を得て、モスクワで出版。
さらに、日本ユーラシア協会と露日協会の共同プロジェクトとして石橋湛山著「湛山回想」ロシア語版を国際交流基金の翻訳・出版助成により、モスクワで出版。
(財)全抑協への協力を続行。
2004年(平成16年)
2004~2005年の「日露和親条約150周年、日露戦争終結100周年、第二次世界大戦終結60周年」記念事業として,ロシア相互理解協会々長 アレクセイ・キリチェンコ博士と日露・日ソ外交秘史公刊に取り組み第一弾として「文藝春秋」11月号に<KGBファイル「ラストボロフ秘史」>を発表(川村訳)
2005年(平成17年)
三月 ロシアRTR-TVの<世界の諜報戦>シリーズの内「ロシア対日本」篇の(1)(2)各45分を2週にわたり放映。
親友アレクセイ・キリチェンコ氏のシナリオで、編集・日本側の時代考証・資料提供と取材を担当したので、ソ連・ロシア時代を通して初めて「客観的な日露・日ソ関係史の真相」を旧ソ連加盟諸国および東欧市民の茶の間で公開させた意義は大きい。
その反響の大きさのためか、戦後篇(3)の製作はロシア政府の許可が下りず米英独仏など他国シリーズは3週放映されたにもかかわらず、我々が製作した「日本篇」のみ(2)週で打ち切られる。
オウム真理教に触れざるを得ない続編は日本で製作するしかないだろう。
★七月 産経新聞社の月刊誌「正論」7月号にアレクセイ・キリチェンコ氏の第二弾、「東京裁判へクレムリン秘密指令」を発表。
(財)全抑協への協力続行。
2006年(平成18年)
産経新聞社の月刊誌「正論」10月号にアレクセイ・キリチェンコ氏の「コミンテルンと日本~その秘密諜報戦をあばく」を発表。
渡辺勝正著「杉原千畝の悲劇~クレムリン文書は語る~」(大正出版)にソ連史料の翻訳と座談会参加で協力。
(財)全抑協への協力続行。
2007年(平成19年)
六月 ロシアのソチ市で開催された第一回芸能人サッカー世界選手権Festival⟨ART-FOOTBALL⟩には亡き長女カオリが自分のロック・グループと参加を決めたことで日本チームが成立し、私も通訳として参加。
(16か国が参加し、日本は5位。日本デーのチャリテイー・コンサートでは「電撃ネットワーク」や、カオリも出演した。)
(財)全抑協への協力続行。
2008年(平成20年)
10月 シベリア関係者慰霊祭とシンポジウムに来日した、ロシア代表団滞在中同行アテンドと、東京のシンポジウム準備・実施に協力。
六冊目のロシア語出版「原爆の子」を2009年、モスクワで実現するプロジェクト調印。原本は岩波文庫版。
11月に国際交流基金助成申請。
11月21日(金)下田市民文化会館のコンサートに来日した、モスクワ・チャイコフスキー音楽院室内合唱団(総勢38名)を翌22日 玉泉寺に葬られている、150年前のロシア水平4名の慰霊祭(駐日ロシア大使他、同大使館員も東京から参列)に案内し、150年前の埋葬時にロシア海軍の乗組員が歌った讃美歌を古文書から確認し、合唱団に謡ってもらうことを交渉し、実現。 
年末TBSテレビの特別番組で、訪ロした、カオリと娘のるちあ、TBSスタッフ全員と川村の全員を上記合唱団が、チャイコフスキー・コンサートホールで催した同合唱団のコンサートに招待される。
この旅がカオリ生前最後のロシア訪問となる。
2009年(平成21年)
10月(財)全抑協・総務省「シベリア関係者慰霊祭」日露シンポジウムに来日した、ロシア代表団に同行アテンド。
12月 ★文藝春秋「坂の上の雲と司馬遼太郎」特集
12月特別増刊号に「軍神・廣瀬武夫死の真相」を執筆。
(ロシア海軍が遺体を収容し、海軍葬を以って弔ったことを写真入りで紹介)
   ★15日 6冊目のロシア語出版「原爆の子」を国際交流基金の翻訳・出版助成を得てモスクワで実現。
2010年(平成22年)
2月6日 大分県竹田市で開催された、プレ嚶鳴フォーラム「国際人・廣瀬武夫に 今 学ぶもの」に、ロシア大使館文化担当フェシュン一等書記官と参加。
「日露関係における廣瀬武夫と杉原千畝」と題し、基調講演と、引き続きパネルデイスカッションに参加。
10月24日 竹田市「嚶鳴フォーラム」に参加し廣瀬武夫に関して研究結果を発表。
「国際人・廣瀬武夫」(PHP研究所,2010年)に執筆。
<「坂の上の雲」人物読本>文春文庫,2010年に執筆。
慶応義塾大学三田キャンパス【5月29日】
第29回シニア・エージセミナーで「私しか語れないロシアとソ連」と題して講演。
*友人として、フェシュン一等書記官も発言。
2011年(平成23年)
8月 「文藝春秋」Special 「がんを生きる」特集号に執筆。
10月 長崎で「帝政ロシアの史跡」調査。オランダで長崎との交流史調査。
11月 「文藝春秋」Special 「坂の上の雲」特集号に<軍神・廣瀬中佐「ロシアの恋」の真実>を執筆。
同月 竹田市での「アリアズナ歓迎行事」にコーデイネーターとして参加。
12月 来日した、ロシアのナターリア・マクシーモワ画伯(日本の旭日双光章受勲者)の創作に案内・協力。
2012年(平成24年)
10月 第一回「日露史探訪ツアー」サンクト・ペテルブルグで廣瀬武夫の史跡を案内。
同月 「川村かおりが眠るモスクワへの旅」ツアーでモスクワを案内。
2013年(平成25年)
3月 NPO日露協会「下田ロシア祭」で<軍神・廣瀬とアリアズナ>について講演。
同月 アレクセイ・キリチェンコ博士の邦訳「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)の編集を担当。
6月 第三回<ART-FOOTBALL>モスクワ祭典に副団長として参加。日本デーのコンサートはグランプリを受賞。
10月 第二回「日露史探訪ツアー」(首藤勝次 竹田市長=団長)サンクト・ペテルブルグ市を公式訪問。
同月19日 竹田市の地域文化フォーラムで講演。
<杉原千畝の決断~命のビザ~>
12月27日 ロシア・ジュニア柔道チーム団長イエリョーギナさんを講道館とニコライ堂へご案内。
2014年(平成26年)
2月20日 文藝春秋社「芥川賞・直木賞記念レセプションに亡兄に代わり招待される。
6月 第四回ART-FOOTBALLモスクワ祭典 日本チーム副団長として参加。
10月 第三回「日露史探訪ツアー」
2015年(平成27年)
4月 DVD「激動の20世紀を生きた三人のクリスチャン」製作時 杉原千畝についてインタビュー。
6月 第五回<ART-FOOTBALL>モスクワ祭典に日本チーム副団長として参加。
10月 第四回「日露史探訪ツアー」案内。
2016年(平成28年)
10月「杉原千畝没後30周年記念ツアー」
モスクワの記念集会・ヴィリニュスの日本大使館・カウナスの杉原記念館では杉原さんの四男・伸生さんが奥様と参加され、意義深い旅となる。
2017年(平成29年)
6月「杉原千畝没後30周年記念行事記録集」<エムオーツーリスト>社の御協力を得て刊行。
9月 ロシア・ユダヤ人自治州の州都 ビロビジャン中央駅舎に「杉原千畝顕彰と難民通過を偲ぶ記念プレートが設置され、除幕式に、川村が代表して参列。ロシア国営テレビも報道。(9月8日)
2018年(平成30年)
1月20日昭和館(九段下)のオーラル・ヒストリーに川村秀のビデオ・インタビュー(上下2篇)が登録され、常時5階の映像・音響室で御覧いただけます。
「軍国少年が体験した沼津空襲」
「東西冷戦下のモスクワでの生活」
5月10日 任意団体より名称を変更し、法人格「一般社団法人日露ユーラシア交流振興協会」を取得し活動を継続。
5月27日
① 廣瀬武夫生誕150周年
② 日本海々戦の日
③ サンクト・ペテルブルグ
創立315年祭の三大記念日を同市で迎え、日露戦争1905年5月27日の慰霊碑に献花と露日友好協会の中心的メンバーと廣瀬武夫生誕150周年祝賀会を開催。
帰途 カリーニングラード(旧ドイツ領ケーニヒスベルグ)に寄り、旧日本総領事館の建物(*現在幼稚園)を訪問し、一昨年、出迎えてくれた副園長に再会。
昨年刊行した記録集と一昨年、訪問時に撮影した記念写真を遅ればせながら届け、今後の交流に就き懇談。
6月12日 ロシア年&ロシア文化フェステイバル In Japan オープニングセレモニーに参加。